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DEFECTIVE:8
2002/12/13(Fri) 00:00:00

 明日の朝ボクは船に乗り
 離れ離れになる
 夢に見た君との旅路はかなわない
 
 きっと僕ら導かれるままには
 歩きつづけられない
 二度と これからは


 一週間前、ユウジに頼んで買ってきてもらったスピッツのアルバムを繰り返し聴いてる。
 掴みきれない砂のような、優しくて淡くぼやけた声が、あたしのとげとげしい心を包みこんでいく。
 あたしは不安と苛立ちと悲しみが入り混じった気持ちで、自分の小さなひざを抱きながら、部屋の隅にうずくまっている。コンポから流れてくる曲だけがあたしを慰める。
 
 ―ユウジがもう3日も帰ってきてない。
 あたしをこんなくらい世界に引きずり込んだくせに、無責任に置き去っていくなんて。そう考えると頼り切っていた分、その気持ちは憎しみとなってあたしの心に滲んでいく。
 あの事件から1ヶ月。
 あたしはユウジの体温に馴染みきった自分の肌を、自分の両手で撫でる事しか出来ない。

 学校に行って、友達とくだらない話をして、トイレで化粧して遊びに行く。そんな普通の毎日を送っていたのに。あたしの学籍はまだ存在しているのだろうか。両親はきっと死ぬほど心配しているに違いない。もしかしたら捜索願を出しているかもしれない。
 過ごしている時は何の魅力も感じなかったのに。失って初めて自分の恵まれていた環境に気づくなんて。
 
 きっと僕ら導かれるままには
 歩きつづけられない
 二度と これからは

 本当にきっと、もう二度とあの生活には戻れないんだ。
「普通」だと感じていた恵まれた頃には二度と。


DEFECTIVE:7
2002/11/17(Sun) 00:00:00

  グラスの中のトパーズ色のレモンティーをじっと見つめていた。
シロップを入れると液体の中にうねりができる。ストローでかき混ぜてもそのうねりは広がるだけで、消えてなくなることは決してないのだ。
・・・あたしの犯した罪と同じように。

 あの日からあたしはいつも神経を尖らせていた。ニュースで「あの事」が流れるのではないかと思うと、テレビをつけることさえできなくなっていた。
 ちょっとだけバカな男達の相手をして
 ちょっとだけ楽をして
 ちょっとだけ割りの良いバイトをしていた。
 それだけだったのに、それだけのはずだったのに...。
 
 あれからユウジはあたしに客をとらせる事をしない。あたしは学校も行かずユウジの部屋で一日中、やることもなくじっとうずくまっている。
 学校にも千駄ヶ谷のマンションにも姿を見せなくなったあたしを心配してか、ルミがしょっちゅう携帯を鳴らしたが、あたしはどうしても出る気になれずパワーをオフにしている。
 ―ユウジの部屋。
 あの日何度も何度も交わった、薄暗い部屋がユウジの部屋だった。
 あの時は気が動転していて気が付かなかったが、ここは千葉のようだ。
 新宿や渋谷でしかユウジに会った事が無かったし、ユウジは殺伐とした空気を好んでいると思っていたから、千葉に住んでいるというのはとても意外だった。
幕張メッセの近くにあるマンションの部屋で、あたしはユウジの投げ出してあったコートに包まって彼の帰りを待つ。
 ユウジは夕方から出掛けて朝方に帰ってくる。冷蔵庫を開けてチーズの欠片とエビアンを一口飲むと、服のままでベッドに倒れこむ。
眠りかけていたあたしの事なんてお構いなしに、あたしの肩を引き寄せて無理やり自分の方へ向かせる。
あたしはアンタの恋人でもなんでもないんだよ。と腹を立てるあたしを力でねじ伏せてディープキスをする。そのまま闇の中でうごめくようなセックスをして、二人繋がったまま眠りにつく。
そして目が覚めると、どちらからともなく求め合い再びセックスをはじめる。
 そんな日々をもうどれくらい過ごしただろうか。この部屋にいると日にちの感覚が無くなってくる。
テレビもつけず、あたしが接するのはユウジだけ。
 ただあの日以来確実にあたしとユウジの関係は変わりつつある。少なくともあたしにとってユウジの存在というのは180度変わってしまった。
ユウジとあたしは「あの罪」によって共犯という、即席だけれど断つ事のできない秘密の絆で結ばれてしまったのだ。
今のあたしはユウジを失う事なんてできなかった。一人でこの罪を見つめる勇気なんて無かった。
一人で半分を背負うなら、二人で全部を背負いたい。
向かい合うことなんて絶対にできない二人だけれど、今は手負いの獣のように身体を寄せ合わないと夜に飲み込まれてしまいそうだから。
 ユウジの規則正しい寝息を子守唄にあたしは今夜も眠りにつくのだった


DEFECTIVE
2002/10/20(Sun) 00:00:00

2002年7月21日(日) DEFECTIVE:6  


あたしは熱病のようなセックスを繰り返していた。 ユウジとあたしの息遣いだけが、狭くて暗いこの部屋に響いた。 
あたしユウジの背中に血がにじむほど強く爪を立てた。ユウジに対する憎しみ、そして脊髄を這い上がってくる恐怖を忘れるために。
でもどんなに荒々しくユウジに抱かれても、どんなに獣のようなセックスに興じても、その夜のあたしは全身の鳥肌と恐怖と吐き気を止めることが出来なかった。

「触るな。」あたしは自分の心臓が体の中で飛び上がる、という感覚を初めて体験した。
あたしの全身の毛は逆立ち、背筋を何かに引っ張られたかのように肩は強ばった。
ドアのそばでゆらりと黒い影が動いた。闇から人影が分離し、こちらへと近づいてくる。あたしはそこから一歩も動けないまま、瞬きもせずにその影を見つめた。
「・・・ユウジ」あたしは渇ききった喉の奥をこじ開けてそう言った。頭の中がぼんやりとして他に何も言葉が思いつかなかった。
ユウジは無言のまま、バスローブでいたあたしに服を放り投げた。
なにがなんだかわからないまま、あたしは「死んだ人間」の側で急いで着替えた。指が思うように動かせず、お気に入りのアナ・スイの黒いワンピースのボタンをとめることが出来なかった。
「ちっ。」とユウジは軽く舌打ちをすると、まだワンピースの前を肌蹴たままのあたしの腕を掴み、強く引っ張った。
ユウジに連れられるまま部屋の外に出るとユウジは監視ビデオがあるから上を向くなと言った。その言葉どおり俯いたまま、あたし達は非常ドアを使いラブホを出た。
ユウジのパジェロ中であたしは体の震えと涙を止めることが出来なかった。そんなあたしを無視するかのようにユウジは車を走らせていた。
なんでこんな事をしたのか。あの男は何者なのか。ユウジはなぜあたしを共犯者に選んだのか。ユウジは一体何者なのか。聞きたいことは沢山あったけれど、あたしは口をきく事さえ出来ない状態だった。
涙目のまま横目でユウジを睨んだ時に見たユウジのグレーの瞳が、あたしをさらに黙らせたのだった。

あたしは痛みで現実に引き戻された。ユウジの歯形がくっきりとあたしの肩に赤い刻印を残した。
もう何度交わった?泣きじゃくるあたしを何度乱暴に犯した?
ユウジがどんなにあたしを抱いてもあたしの涙は止まらなかった。しかしあたしの頬を伝う涙があたしの愛液と混じり、それがセックスの快感を増長させたのは事実だった。
あたしは何度も何度もオーガズムに達した。そして頭の中に広がる白いうねりに全てを任せようとした。それは無駄な努力だと頭のどこかで知りながら。
 
2002年6月23日(日) DEFECTIVE:5   


  夜の7時、大久保のラブホテル。あたしは汚い窓から外を眺めている。
見えるのはすぐ隣の雑居ビルと、小汚いごみ置き場だけ。窓ガラスの向こう側に蛾が一匹とまっている。ホテルの部屋からもれた光に誘われて来たのだろう。あたしは指先でガラスを叩き、蛾を追い払った。むこうへ行きな。ここはあんたに相応しい場所じゃないよ。ここは汚くて暗い場所なんだから。こんな所に長く居過ぎると動けなくなっちゃうよ。
あたしはあのパジェロでの最悪なドライブの日、ユウジに頼まれた「大事な客」とここに来ている。「大事な客」は今シャワーを浴びている。歳は50代後半位の身なりのキチンとした中年の男だ。ただその瞳にただならぬ野心と狡さがうかがえる。強い力を放つ瞳の持ち主。
この男がユウジとどんな関係なのか、どんな素性の男なのか。ユウジのあの態度からもかなり気になる所だが、あれ以上ユウジに話を聞くことは出来なかった。 どんな男だろうと構わない。あたしだって高校生のくせに売春をしているような女の子なんだから。  バスルームから男が出てきた。
「君も浴びるのだろう?そのままでも私は構わんが。」
「浴びるわよ。ちょっと待ってて。」 
そう言ってそいつはにやけた笑みを浮かべた。
あたしは軽く吐き気を感じて、男の横をすり抜けるようにバスルームへと逃げ込んだ。
着ていたアナ・スイのワンピースを脱ぎ捨て、全身に熱いシャワーの湯をぶっ掛ける。
そのうちだんだんと化粧が落ちてきて、濃く引いたマスカラが黒い涙となってあたしの頬を伝う。ちらりとバスルームに取り付けてある鏡を見ると、そこには黒いメイクのピエロのような顔した、なんとも無様な顔をした女の子がいた。
あんまりに変な顔で恥ずかしくなり、あたしはゴシゴシと力任せに顔をこすった。
長い髪の先から水滴がポタリポタリと落ち、まるで雨に降られてしょぼくれた犬のようなあたし。濡れた髪をかきあげ、あたしは再び鏡を睨みつけた。
洗面所で念入りにメイクをしてあたしは男の待つベッドルームへと向かった。
男はベッドにうつ伏せになっていた。あたしは明らかにさっきとは違う部屋の雰囲気を感じた。
乱れたベッドのシーツ。片方脱げ落ち、窓の方まで飛ばされたスリッパ。男のバスローブははだけて腿のあたりまでのぞいていた。
あたしは恐る恐る男の横へと行ってみた。
男の顔を覗き込むと、目を閉じ口をだらしなく半開きにした表情をしていた。眠っているのかと少しホッとしたその次の瞬間、あたしの目にとんでもないものが飛び込んできた。
男の首にはバスローブのベルト部分の紐が巻き付いていた。よほど強い力で圧力を加えられたのであろう。タオル地の紐は毛羽立ち、交差させた部分はぐしゃぐしゃになっていた。
あたしは状況を理解出来ずにその場に立ちすくんだ。死んでいるのだろうか?それともこの男のパフォーマンスなのだろうか?男の首筋に手を伸ばした時、突然背後から声が聞こえた。「触るな。」
 
2002年6月3日(月) DEFECTIVE:4  

ブルーのパジェロがネオンと人間の隙間を縫うように走っていく。もう夜の11時を回ろうというのに、なぜこんなに沢山の人間がいるのだろうか。助手席のあたしは窓に頭をもたれさせながら、ぼんやりと夜の街並みを眺めていた。
「・・・・で、なあ。聞いてる?」
「聞いてるよ。」 
あたしは顔を窓のそとに向けたまま答えた。普段のユウジなら腹を立てて、あたしをこのまま車の外に追い出しかねない。 
ユウジの話は、「特別な客」の接待をあたしに頼みたいという事だった。
「仕事の話ならいつもみたいに携帯でいいのに。」 あたしは車に乗ってから初めてユウジの方に視線を向けた。 
明らかにおかしい。短気なユウジがあたしのこんな態度に腹も立てずにいるなんて。
「ああ・・・。たまにはいいだろ。こういうことがあっても」 
何かある。あたしはそう思った。
「特別な客って一体誰?そんなに特別ならルミに頼んだ方がいいんじゃない?」
「あいつはだめだ。」 
ユウジはすかさずそう言った。
「あいつはクールじゃないからな。」
「それって、ルミがユウジに恋しちゃってるってこと言ってんの?」
「さあな。」
 この男は気づいていたのか・・・。だとしたら自分に好意を持つ女に売春させる、どこまでも酷い奴だ。「ただ、今度は本当に特別な客なんだよ。」
 そう言ったユウジの目はぞっとするほど冷たく光っていて、あたしは言おうとした文句を飲み込まざるを得なかった。
ユウジがキレた時は瞳の色がブルーグレーに変わると聞いたことがある。今の目がきっとそれだったのだろう。これ以上詮索するな。そう目が言っていた。あたしは黙るしかなく、また窓の外を眺める。
車は新宿を走っていた。眠る事の無いこの街は今日も人と車で溢れている。汚らしい雑居ビル、高層マンション、コンビニ、パチンコ屋、ソープランド、デフレの殿堂とも言える、大型ディスカウントストア、そしてそれらのネオン。
あたしは瞳を細く開けてそれらを見つめる。そうするとその騒がしいネオンもぼやけて、美しい星のように見えるから。
そのままふたりで黙ったまま、一時間ほど最悪なドライブをした。その気まずい空気は、一時間をウンザリするほど永い時間のように感じさせた。
そして、あたしはその時ユウジの車に乗ってしまった事を心から後悔したのだった。 
 
2002年5月31日(金) DEFECTIVE:3  

  パープルとブラックのマーブリングされた模様がまぶたの裏で動いている。
その不気味な模様はまぶたからこめかみ、そしてあたしの耳の中へ入ってくるの。
じんわりと、少しずつあたしの身体に染み込んでいく気がする。染み込むというより、蝕むという方が正しいだろうか。 
「客」が帰ってから1時間は経ったろうか。あたしはまだベッドから出れないでいる。この仕事をした後はいつもこうだ。湧き上がる自分に対する嫌悪感を止めることが出来なくなる。
 楽な客だった。そのサラリーマン風の男は一切プライベートな事を口にせず、ぜんまい仕掛けのようなインサートを繰り返した。 セックスが終わった後も、一人さっさとワイシャツを着て出て行った。
「シャワーくらい浴びてったら?」というあたしの問いかけに振り向きさえもしなかった。 
そんなに避けなくたっていいじゃん。あたしは心の中で笑った。
あたしが千駄ヶ谷のマンションを出る頃には10時をとっくにまわっていた。制服の入った紙袋がやけに重く感じる。同じように足取りも重く、ずるずると靴を引きずるように歩いた。
「ご苦労さん。」
突然声をかけられて、ホントにぼんやりしていたあたしは無様なくらいビビってしまった。 その驚いた様子を見て声の主が笑う。
 ユウジだった。
「悪趣味だよ。隠れてたわけ?」 
疲れとユウジの無神経さに腹が立ち、あたしの口調はきつくなった。
「ゴメン。そんなに怒るなよ。」 
ユウジは笑いながらそう言った。こいつの軽薄な口調があたしの疲れきった神経を逆なでする。
「なによ。なんか用?疲れてるから帰りたいんだけど。」 
苛立ちから知らないうちに早口になる。こいつと話してるともっと疲れてしまいそうだ。
「まぁ、そうイラつくなよ。腹減ってねぇ?急なオファーに答えてくれたお礼にメシおごるよ。」 
あたしは少し驚いた。ユウジがプライベートであたしを誘ったのは2回目だった。1回目は初めて会ったきっかけとなったナンパだ。
 確かに空腹を感じていた。でも、今日のあたしはユウジの軽口に付き合うほどの余力を持ち合わせていなかった。
「ありがたいけれど、ホントに帰りたいのよ。」
「じゃあ、送ってくよ。」
 ユウジはさらに食下がってきた。こんな事は初めてだった。 
あたしは言葉に詰まった。何か尋常でない雰囲気を感じ、今度は驚きよりも不気味さが勝った。
「・・・分かった。」 
あたしは小さく息を吐き、ユウジに付き合う覚悟を決めた。 ユウジがここまで言う理由を知りたい、そう思った。
「それじゃ、おれ車回してくるから。」 あたしはユウジの後姿をぼんやりと見送った。 
 
2002年5月24日(金) DEFECTIVE:2


午後6時45分。千駄ヶ谷のマンションに着いた。 4LDKの部屋には、もうすでに5,6人のスタッフがいた。 仕事がなくてもこの部屋にくる子もいる。 目的は『ユウジに会いたい』。
 2つの部屋は『仕事部屋』で、1つが『スタッフルーム』。もう一つが『衣裳部屋』になっている。 衣裳部屋というのは、いわゆる『コスチュームプレイ』に使う衣装をしまっておく部屋だ。 種類も色々で、三流高校のセーラー服からアニメ、ナース、スチュワーデス、婦警、バニー、浴衣まである。 通常料金に1万プラスすればコスチュームプレイが可能なのだ。その他プラス3万で縛ることも出来るシステムになっている。
 スタッフルームにはルミがいた。 ルミとあたしとはクラスメート。 
日焼けサロンに通ってつくるキレイな小麦色の肌と、グラビアアイドルのようなしなやかな肢体は、女のあたしでさえ見惚れてしまうほどだ。 それに加えてルミは、なんともはかなげな顔立ちをしていた。 そしてルミはとてもクレバーな子だ。都内の女子校の中ではダントツの進学率を誇るうちの学校で、ルミはいつもトップの成績だった。あたしはルミのカンニング専門でいつも50位から80位のあたりをうろついている。 
可憐な顔立ちに加え、グラマラスな体つき。当意即妙の才気にも恵まれたルミは、グループで今一番の売れっ子だった。
 ユウジのグループに誘われたとき、のり気でなかったあたしを必死に説得したのもルミだった。ユウジの頼みを断れなかったようだ。
 彼女がユウジを好きだということは、ずいぶん前から気づいていた。 
 なのにケチで欲情しっぱなしの男達の相手をするのは、忘れ去っていたくらいに純粋な想いと、それと向き合うことの出来ない臆病さ。そして何より、ユウジとの繋がりを失いたくないという思いからなのだろう。
「あれ、今日ミキオ入ってたっけ?」 
マスカラを引いていた、制服からカットソーのミニワンピに着替えたルミが言った。ルミの先週開けた三つ目のピアスホールは膿んでいるようだ。赤く腫れている。
「ユウジから電話があってさ。いつもより弾むって言うから来たの。」
あたしは制服を脱ぎながら言った。
「ユウジ」という言葉があたしの口から出ると、ルミはようやく鏡からこっちに顔を向けた。
「ユウジが?」
「うん。多分、人が足りないんでしょ。」
あたしはわざと素っ気なく言った。
ルミはユウジのこととなると、ちょっとしたことでも気にしてしまうようだったから。ユウジが他の女の子に優しくしたり、他の子がユウジを好きだという話を聞いたりすると、ルミは不機嫌になるのだった。 「今日はユウジ、このマンションに来ないのかなぁ。」
ルミは独り言のようにつぶやいた。7時からの約束だったので、あたしはさっさと着替えを済ませ『仕事部屋』へと向かった。 ルミも隣の部屋へと入っていった。
 友達と隣の部屋同士でセックスをしている。ちょっと異常とも思えるこの状況に、あたしは少し笑った。はじめの頃はこれが原因で、不感症のようにあたしのヴァギナは濡れずに閉じたままだったのだ。
 光を通さないような黒サテン製のカーテンと、部屋の中央に置かれたダブルベッド。それしかない、なんとも無機質な部屋だ。以前ルミが言っていたが、このマンションの部屋でAVの撮影をすることもあるらしい。この豪華なマンションに来るたび、ユウジの取り分は35%より実際は多いのではないかと思ってしまう。
少しだけドアを開けて中を覗くと、ベッドに男が一人腰掛けタバコを燻らせていた。 一見した印象は40歳くらい。中年のサラリーマン風で、メガネをかけ背広を着た、痩せた男だ。
 あたしは一度ドアの前で深く息をし、営業用の顔と声の準備をした。全く違う自分を演じること、そして自分を分裂させることが、あたしのプライドのプロテクターになっているのだ。そうしなければあたしは、こんな男達にすこしでも快楽を与える自分を許せないだろうから。
 
2002年5月23日(木) DEFECTIVE:1  

腹部の圧迫されるような空気。新しい書物の独特の匂いは、ちょっと埃っぽくて息が詰まりそうになる。
 今あたしは新宿ルミネの青山書店にいる。ここはほんとに立ち読みするやつらが多い。最近改装されて、座って読めるブースまで出来てしまった。
 もっとも、ここであたしが書くことはあたしが高校生の頃の話だから、3年も前。 まだ改装もされていない頃の話だけれど。 
 別に何かを探すでもなく、あたしは本屋の中をぶらついた。 ヘッドフォンからはスピッツの「空も飛べるはず」が聴こえている。 

切り札にしてた 見え透いた嘘は 満月の夜にやぶいた。 

あたしはスピッツが大好きだった。 
あたしだけに語りかけてくれるような優しい声も、レアな官能が隠されている歌詞も。 
以前友達に話したら、クスって笑われて
「意外に少女趣味なんだね、ミキオは。」
と言われてしまった。 その皮肉の詰まった言葉に、あたしはフンと横を向いた。
「意外に少女趣味なんだね、ミキオは。」この言葉は「ウリをやってるくせに、意外と少女趣味なんだね、ミキオは。」という意味だ。
 携帯のコール音がバックの中から聞こえた。 まわりのお客がチラリとこちらを見たが、あたしは素知らぬ顔で本を探しているフリをしていた。
 コール音が10回に達したとき、あたしはちぇっと舌打ちしてバックの中をまさぐった。 本屋の入り口を出て電話をにらんだ。 ユウジからだった。
「はい。」
「あ、ミキオ。やっと出たか。」
 あたしはユウジの軽薄な話し方と、ミキオと呼び捨てにされたことに苛立ちをおぼえ、ややきつい口調で続けた。
「何の用?今月は月のみって言わなかったけ。」
「なんだよ。機嫌悪いのか。」
「約束は守りなよ。」
 ユウジはあたしの不機嫌な態度に少々ムッとしたようだが、気を取り直して続けた。
「まぁ、そう言うなよ。急な依頼でさ。悪いけど一回だけ頼むよ。」
「いや。」
「ミキオちゃ―ん。いつもより弾むからサ。」
 あたしは少しだけ考えて、聞いた。
「どのくらい?」
 ユウジが受話器の向こうで二ヤッとしたのが目に浮かぶ。
「7でどうよ。」 
意外な金額にあたしは沈黙した。
「・・・わかった。約束だからね。」 
それだけ言ってあたしは電話を切った。 時間や場所は聞かなくても分かっていた。
 家に友達の家で勉強するので遅くなると電話を入れると、あたしは7時まで暇を潰すためにドトールに入った。 
あたしについて言えば、特に差し迫って金が必要というわけではない。 私立の、名前を言えば誰でも知ってるような高校に通いっている。
 そんなあたしがなんで売春やってんの?って聞かれそうだけど、理由なんてない。
 あえて言えば、時給1000円にも届かないスマイルはゼロ円のバイトより、もっとこずるくて、親や学校を欺くようなことをしたかった。
 そんなときに出会ったのがユウジだった。 渋谷でナンパしてきたジゴロ風の男。
 はじめは口説くのが目的だったみたいだけれど、あたしの中に歪んだ光を見つけたとたん、立場は全く違ったものになった。 
ユウジの取り分は35%。後腐れのない様、連絡は携帯のみ。 客は会員のみで、身分証を提示してもらい、病気についてもチェックしてあるので安心だとユウジは言った。
 ユウジの経営する売春組織にはあたしのような未成年がたくさんいた。 ユウジにとって、あたし達”スタッフ”に仕事を割り振りすることと、そのポーズはこれ以上無い快感を与えているようだ。
 ユウジについて詳しく知っている子は少なかった。 どこでどんな生活を送っているのか、年齢さえ知らなかった。 知っているのは背が高くって浅黒い肌をしているということ。 
あたしと同じように歪んだ”欠陥品”であるということ。 
長い前髪を鬱陶しそうにかきあげる仕草と、寂しそうな瞳があたし達くらいの年齢の女の子を惹きつけることは、本人が一番良く分かっているのだろう。 
スタッフの中にはユウジが好きでこの仕事を受けている子も多い。 でも、ユウジは決して自分について多くを語らなかった。 あたしも深く聞いたこともなかった。
 それでいいのだ。 
あたし達の組織はお互いを深く知る必要はないのだから。 深く知ったらこの仕事はやりにくくなる。 互いの事情に同情が入るかもしれないから。
  携帯の時計は6時15分。 千駄ヶ谷の組織のマンションは仕事場兼スタッフの溜まり場だ。
 よしっと小さく言って、あたしは残り少なくなったアイスティーをストローで飲み干し、席を立った

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